こんにちは、サイキックリーダーの藍です。
「Life Story~私の原点~」は全7回の私自身の物語となっております。まだStory1を読まれてない方は、先にそちらから読んでみて下さい。そのほうが、しっかり話が繋がります。
では、幸せな幼少期から、アトピー戦争の始まりである「Story2:火蓋は切って落とされた。アトピー戦争のはじまり」についてお伝えします。
■■ 目 次 ■■
アトピー戦争勃発in我が家
小学校にあがる前あたりから、アトピーは悪化していきます。まさに、「我が家×アトピー」との戦いの始まりでした。
このアトピーを通して、私を形づくるメインの構成要素である「行動力」が身についたのだと思います。私の魂の人生のシナリオにおいて、このアトピーの経験は、そういう意味でも必然の出来事だったのでしょう。(それ以外にも意味はありますが、それはこの7回の物語を通してお伝えします。)
家族一致団結して、打倒アトピーというゴールのもと、「これが良いのでは?」というものを知っては試す…を繰り返すこと約10年。ずっと諦めずに前向きに行動し続けることを、私の幼い手を引き、両親が身をもって背中で見せてくれました。
アトピー戦争で使った武器たち
さらっと、私の家族が使った思い出に残っている武器をご紹介します。
下着は裏返しが鉄則
アトピーは超敏感肌なので、ちょっとした刺激で、肌がかゆくなったりします。下着の素材にはこだわってました。
そして、裏地がチクチク肌に刺さる為、裏返して着たり、裏地にペロっと貼ってある洗濯表示やサイズが書かれたラベルのようなものはハサミで切る。
とにかく肌に刺激を与えるものは排除する、というのは、基本仕様の武器の一つでした。
さらば。サラサラ黒髪
刺激といえば、自分の髪です。
長くなり肩に髪が当たると、それもチクチクしてかゆくなるのです。ということで、長かった黒髪も、泣く泣くバッサリカット…。
切ったことが原因かわかりませんが、髪もパサつく髪質になってしまったのはショックでしたね。
ショートヘアも、基本仕様の武器の一つでした。
さらば。塩素三昧のプール。
喘息持ちだったので、体を鍛えるべくプールの習い事をしてました。が、プールに入っている塩素がアトピーには良くない…と聞きつけた親は、プールの習い事もストップさせることを決意。
天然の母が引き起こした、ビワの葉事件
そして、ビワの葉。母が「ビワの葉がアトピーに効く」と聞きつけてさっそく試すことになったわけです。湯舟に大量に浮かんだ大きなビワの葉っぱ達。湯舟一面、ビワの葉だらけ。
そして、ビワの葉風呂に浸かる…結果。
逆効果で、アトピーが悪化するという事態になりました。後日談ですが、ビワの葉は、湯舟に入れるのではなく、煎じて飲むのが正しいやり方だったようです…。
強制。海水地獄
今度は、父が「海水がアトピーに効く」と聞きつけて、私を半ば強制的に海に連れていきます。
傷があったら海水がしみて痛いですよね?
当時の私の肌は、皮膚がめくれて、普通のシャワーでさえも痛い状態。
海水はまさに激痛。怒鳴られながら、泣きながら海に入らされたのを覚えています。
その後、母に海水の苦しみを訴え、強制海水地獄は一度きりで終わりました。
夜限定、ボクサーの誕生
厄介だったのは、寝ているときでした。まさに、夜は、アトピーの奇襲攻撃の時間なのです。
無意識でボリボリと自分の手で、全身をかきむしり痛めつけて血が出る、そして朝起きると肌が悪化しているという繰り返し。シーツには血の跡。
もちろん、爪は常に短く切ってました。(基本仕様の武器の一つ)
ちょうど、親せきの兄から、ボクサーが手に付けるグローブのおもちゃ版をもらったので、それを付けて寝ることにしたのです。
が、またもや奇襲攻撃に敗れたり。それも無意識に寝てる間に取っちゃってました。。
ガムテぐるぐる巻きのボクサー登場。
毎度奇襲攻撃にやられるわけにはいきません。
今度は、手首からグローブが外れないように、ガムテで固定することを試みました。
が、それも、朝起きると、グローブは床に転がり落ち、ガムテもベッドでぐしゃぐしゃ…まさに惨敗感。
ベッドに縛り付けられたボクサー
そして、最終兵器。
私が考えたのが、ベッドに自分自身を縛り付けるという状態。グローブをはめて、ガムテで手首を外れないように固定。さらに自分の手も自由が効かないように、ベッドに縛り付ける。
が、これは、自爆してしまいました。
体がリラックスできず、眠れないという結果に陥ったので、1回きりで終了しました。
恐怖のワセリン
今でこそ、ワセリンの取り扱いには注意するというのは当たり前になっていますが、当時はそんなことなかったです。ワセリンは保湿効果が高いためか、一度使うと効き目が良く、アトピーに効く強い薬で重宝していました。
しかし、それはその時だけ。治るということではないです。
だから、塗り続けないといけない、そして、副作用もあります。
そのワセリンを、私は塗ってましたし、飲み薬としても飲んでいました。
脱。恐怖のワセリン
母が「ワセリンは飲むのは良くない」と聞きつけて、当時処方してもらっていた医大に話をして、脱ワセリンをすることになりました。
が、副作用もある為、ずっと飲み続けていたものを突然ゼロにするのは危険ということで、少しずつ少しずつ量を減らしていきました。
ぬるま湯のヌルヌル薬風呂
親戚から「東京に良い病院がある」と教えてもらい、東京の病院に定期的に行ったこともありました。
そこの病院では、行った時に約1時間薬風呂に浸かるのですが、これが気持ちが悪い…。
ヌルヌルしていて、温度も34度くらいで、ぬるーいのです。イメージは、大量のぬるいオリーブオイルに全身浸かっている感じです。
普通であれば、ヌルヌルしていて美肌に良さそう~と思うかもしれませんが…
傷だらけの皮膚がめくれた状態のボロボロの全身なので、このお風呂は苦痛以外のなにものでもなかったのを覚えています。
毎晩、母はミイラを作る
前述した東京の病院でもらった薬も、これまたヌルヌルした液体…。ヌルヌルどろどろ、私はこの薬は好きではありませんでした。
ジェルのように固形物感は全くない液体なので、そのヌルヌル液体を全身に塗り、液体が落ちないように、包帯で湿布します。
お風呂上りに、母はせっせと、毎晩小さなミイラを作ってくれたわけです…まさかのわが子で。
everyday掃除機2回
「アトピーにはハウスダストが良くない」ということで、当時は、母が、毎日掃除機を2回かけて、ベッドも掃除機かけ。ベッドにかける掃除機は、ハウスダスト用なのか、なんだかちょっと特殊なやつを使ってました。
スピリチュアルな観点からこの経験をみる
ポジティブエネルギーを放出
昔は、「なんでこんな目にあうんだろう」「父のアトピーが遺伝したんだ!」「きれいな肌の人がうらやましい」と、思うことも確かにありました。
でも、これらの感情はネガティブエネルギーなんですよね。
ただ、当時の我が家は、明るかったんです。
ビワの葉事件で、天然の母がうっかり間違った情報で試した挙句、アトピーが悪化したときも、笑い話になりました。
両親の「絶対に良くなる。良くならせる」という信念のもと、常に前向きに考えていて、私のネガティブエネルギーを一掃してくれていたからだと思います。
両親はポジティブな電波塔
そして、そんなポジティブに行動し続けていた両親、親戚、みんなのおかげで、「アトピーに効く」といういろんな情報が常に集まってました。まさに、私達はエネルギー体で電波塔。
アトピー発症から、約10年後、祖父が新聞の記事で見つけた「高知の病院」との出会いのおかげで、私のアトピーは劇的に良くなり、現在に至ります。
「目標に向かって常にポジティブエネルギーをもって、行動し続ける、その結果、良い未来が待っている」。
両親が身をもって私に成功体験を味わわせてくれました。その過程は、ひねくれていた当時の私の魂にとって、数々の学びとなり、私のエネルギーもポジティブに変わっていったわけです。

mohamed HassanによるPixabay画像の提供に感謝を込めて
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